単体複体の二元体係数ホモロジー2:単体複体から鎖複体へ
単体複体が与えられたとき、その多面体が目に見えるとは限らない。 あるいは目に見えたとしても、その"かたち"を把握することは一般に難しい。 そこで我々は、与えられた単体複体からホモロジーと呼ばれる代数的な量を取り出し、観察することを考える。
この章では、その準備として、単体複体という幾何的対象に対して鎖複体という代数的対象を対応づける。 その際には二元体という特殊な体を用いる。
- 単体複体の二元体係数ホモロジー0:二元体上の線型代数
- 単体複体の二元体係数ホモロジー1:単体複体
- 単体複体の二元体係数ホモロジー2:単体複体から鎖複体へ
- 単体複体の二元体係数ホモロジー3:鎖複体からホモロジーへ
単体複体の鎖複体
単体複体は、単体たちを"きっちり"と貼り合わせて得られる幾何的対象であった。 これを代数的に取り扱うために、単体たちを基底とするベクトル空間、そして単体たちの貼り合い方を記述する線型写像を導入しよう。 そのベクトル空間と線型写像たちが成す系列を、単体複体の鎖複体という。
定義2.1(鎖群)
単体複体 $K$ と整数 $0 \le q \le \dim K$ に対して、 $K$ の $q$ 単体の総数を $k_q$ と置き、 $K$ の $q$ 単体を $\sigma^q_1, \dots, \sigma^q_{k_q}$ と書こう。上付き添字が単体の次元、下付き添字が単体のラベル(識別番号)のつもりである。
さて、$K$ の $q$ 単体全体 $\{\sigma^q_1, \dots, \sigma^q_{k_q}\}$ を基底とする $\mathbb{Z}_2$ 上のベクトル空間 \begin{align*} C_q (K) &= \mathbb{Z}_2 \cdot \sigma^q_1 \oplus \cdots \oplus \mathbb{Z}_2 \cdot \sigma^q_{k_q} \\ &= \{c_1 \sigma^q_1 + \cdots + c_{k_q} \sigma^q_{k_q} \ | \ c_1, \dots, c_{k_q} \in \mathbb{Z}_2\} \end{align*} のことを、単体複体 $K$ の $q$ 次鎖群($q$ -th chain group)という。また、 $q$ 次鎖群の要素(ベクトル)を $q$ 鎖( $q$ -chain)という[1]。
なお、 $q < 0, \ \dim K < q$ に対しては $C_q (K) = 0$ (零ベクトル空間)と定義する。 ここで $C_{-1} (K)$ の基底を $\{\varnothing\}$ としないところに引っ掛かりを感じるかもしれないが、それについては定義2.で述べる。
補足2.2
- $C_q (K)$ の定義に現れた「 $+$ 」の意味を説明する。 $C_q (K)$ は、実際には $\mathbb{Z}_2$ 上の $k_q$ 次元数ベクトル空間 $\mathbb{Z}_2^{k_q}$ として定義される。このとき、数ベクトル $(c_1, \dots, c_{k_q})$ のことを $c_1 \sigma^q_1 + \cdots + c_{k_q} \sigma^q_{k_q}$ と書いているのである。このような和の表記のことを形式的な線型結合あるいは単に形式的な和ということがある。
- 鎖群 $C_q (K)$ において $\sigma^q_i$ たちは基底を成す(特に線型独立である)ので、線型な関係式を持たない。
- 単体をその頂点たちによって指定・表記するとき、登場する頂点の種類だけが重要であり、頂点の順番の取り方には依らなかった(順番の取り方は、 $0$ 単体でない限り複数存在する)。鎖群においても、登場する頂点の種類が同じで順番だけ異なる単体は同じと見做す。たとえば、$K$ が $2$ 単体 $\sigma^q_i = |a_0 a_1 a_2|$ を持つとき、 $2$ 次鎖群においても $$\sigma^q_i = |a_0 a_1 a_2| = |a_2 a_1 a_0| = |a_1 a_0 a_2|$$ である。これは表記の約束である。
注意2.3
鎖は単体たちの形式的な線型結合であるが、その係数 $c_i$ は二元体 $\mathbb{Z}_2$ の元なので、 $0$ か $1$ しかあり得ない。 つまり、鎖を一つ指定することは、項に現れる単体がどれかを指定することに他ならない。 これに注意しながら、次のような視点を導入する。
第0章で解説したことより、数ベクトル空間 $\mathbb{Z}_2^{k_q}$ は $k_q$ 元集合の冪集合と見做せたのであった。 ここで $k_q$ 元集合を $q$ 単体の全体 $\{\sigma^q_1, \dots, \sigma^q_{k_q}\}$ でとれば、 $q$ 次鎖群 $C_q (K) (= \mathbb{Z}_2^{k_q})$ と 冪集合 $2^{\{\sigma^q_1, \dots, \sigma^q_{k_q}\}}$ の間に、次の線型同型が得られる: $$C_q (K) (= \mathbb{Z}_2^{k_q}) \to 2^{\{\sigma^q_1, \dots, \sigma^q_{k_q}\}}, \quad c_1 \sigma^q_1 + \cdots + c_{k_q} \sigma^q_{k_q} \mapsto \{\sigma^q_i \ | \ c_i = 1\};$$ $$2^{\{\sigma^q_1, \dots, \sigma^q_{k_q}\}} \to C_q (K) (= \mathbb{Z}_2^{k_q}), \quad A \mapsto \sum_{\sigma^q_i \in A} \sigma^q_i。$$
したがって、 $K$ の $q$ 鎖は、「 $K$ の部分図形であって幾つかの単体が"連なった"もの」だと捉えられる。 そして、 $q$ 次鎖群とは、そういった部分図形たちをすべて集めてきたデータセットなのである。
例2.4(鎖群)
単体複体 $K(|a_0 a_1|) = \{\varnothing, |a_0|, |a_1|, |a_0 a_1|\}$ の鎖群を、要素(鎖)を列挙した形で表すと、
- $C_0 (K(|a_0 a_1|)) = \{0, |a_0|, |a_1|, |a_0| + |a_1|\}$
- $C_1 (K(|a_0 a_1|)) = \{0, |a_0 a_1|\}$
となる。
演習問題2.5
単体複体 $K(\partial |a_0 a_1 a_2|) = \{\varnothing, |a_0|, |a_1|, |a_2|, |a_0 a_1|, |a_1 a_2|, |a_2 a_0|\}$ の鎖群を、要素(鎖)を列挙した形で表せ。それぞれの要素(鎖)に絵を添えてみるとよい。
Proof.
- $C_0 (K(\partial |a_0 a_1 a_2|)) = \{0, |a_0|, |a_1|, |a_2|, |a_0| + |a_1|, |a_1| + |a_2|, |a_2| + |a_0|, |a_0| + |a_1| + |a_2|\}$
- $C_1 (K(\partial |a_0 a_1 a_2|)) = \{0, |a_0 a_1|, |a_1 a_2|, |a_2 a_0|, |a_0 a_1| + |a_1 a_2|, |a_1 a_2| + |a_2 a_0|, |a_2 a_0| + |a_0 a_1|, |a_0 a_1| + |a_1 a_2| + |a_2 a_0|\}$
定義2.6(境界作用素)
単体複体 $K$ と整数 $q$ に対して、$\mathbb{Z}_2$ 線型写像 $\partial_q \ \colon \ C_q (K) \to C_{q - 1} (K)$ を、 $$\partial_q (\sigma^q_i) = 《 \sigma^q_i の 切子面すべての和》 = 《 \sigma^q_i の (q - 1) 面すべての和》$$ を線型に延長して定義する。 これを $K$ の境界作用素(boundary operator)という。
なお、定義域あるいは終域が $0$ (零ベクトル空間)である場合は、 $\partial_q = 0$ (零写像)と定義する。
注意2.7
- 境界作用素が定義できる( $K$ の単体に対してその切子面が必ず $K$ に属する)ために、単体複体の定義にある条件(1)は外すことができない。
- $q$ 単体 $\sigma^q_i$ に対して、その 切子面は $\binom{q + 1}{(q - 1) + 1} = \binom{q + 1}{q} = q$ 個ある。したがって、 $\partial_q (\sigma^q_i)$ の項も( $0$ 個でない限り) $q$ 個である。
- $\sigma^q_i = |a_0 a_1 \dots a_{q - 1} a_q|$ と書けば、
\begin{align*} \partial_q (|a_0 a_1 \dots a_{q - 1} a_q|) &= |a_1 \dots a_{q - 1} a_q| + \cdots + |a_0 a_1 \dots a_{j - 1} a_{j + 1} \dots a_{q - 1} a_q| + \cdots + |a_0 a_1 \dots a_{q - 1}| \\ &= \sum_{j = 0}^q |a_0 \dots a_{j - 1} \hat{a_j} a_{j + 1} \dots a_q| \end{align*} である。ただし、 $|a_0 \dots a_{j - 1} \hat{a_j} a_{j + 1} \dots a_q|$ は $a_j$ 以外を頂点とする $|a_0 a_1 \dots a_{q - 1} a_q|$ の切子面を表す。このとき、頂点の順番の取り方で $\sigma^q_i$ の表記が変わっても、和において登場する項の順番が変わるだけで、計算結果に影響はないことを念押ししておく。
例2.8(境界作用素)
例1.12.3の単体複体 $$K = \{\varnothing, |a_0|, |a_1|, |a_2|, |a_3|, |a_0 a_1|, |a_1 a_2|, |a_2 a_0|, |a_0 a_3|, |a_3 a_2|, |a_0 a_1 a_2|, |a_0 a_2 a_3|\}$$ (正方形)を考えよう。 このとき $|a_0 a_1 a_2| + |a_0 a_2 a_3| \in C_2 (K)$ であるが、絵としては $2$ 単体(三角形)が貼り合って正方形となっている状況を想像している。 これを $\partial_2$ によって写すと \begin{align*} \partial_2 (|a_0 a_1 a_2| + |a_0 a_2 a_3|) &= \partial_2 (|a_0 a_1 a_2|) + \partial_2 (|a_0 a_2 a_3|) && (\because \ \partial_2 の線型性) \\ &= (|a_1 a_2| + |a_0 a_2| + |a_0 a_1|) + (|a_2 a_3| + |a_0 a_3| + |a_0 a_2|) && (\because \ \partial_2 の定義) \\ &= |a_0 a_1| + |a_1 a_2| + |a_2 a_3| + |a_3 a_0| + 2 \cdot |a_0 a_2| && (\because \ 同類項をまとめて整理した) \\ &= |a_0 a_1| + |a_1 a_2| + |a_2 a_3| + |a_3 a_0| && (\because \ 二元体では 2 = 0) \\ \end{align*} となる。計算結果を絵に描いてみると、確かに正方形の境界としてその周が出てきたように見える。 途中の $|a_0 a_2|$ が消えたことは、対角線が相殺されたことに対応する。
また、 $\partial_2$ は線型写像だから、表現行列を求めることには意味がある。(表現行列と言ったときには、特に断らない限り、基底は鎖群の定義で使用したものをとることにする。)行列計算により \begin{align*} \begin{bmatrix} \partial_2 (|a_0 a_1 a_2|) & \partial_2 (|a_0 a_2 a_3|) \end{bmatrix} = \begin{bmatrix} |a_0 a_1| & |a_1 a_2| & |a_2 a_0| & |a_0 a_3| & |a_3 a_2| \end{bmatrix} \cdot \begin{bmatrix} 1 & 0 \\ 1 & 0 \\ 1 & 1 \\ 0 & 1 \\ 0 & 1 \end{bmatrix} \end{align*} であることから、 $\partial_2$ の表現行列 $M_2$ は \begin{align*} M_2 = \begin{bmatrix} 1 & 0 \\ 1 & 0 \\ 1 & 1 \\ 0 & 1 \\ 0 & 1 \end{bmatrix} \end{align*} だと分かる。
演習問題2.9
以下の問題を解け。絵も添えてみるとよい。
- (1) 例1.12.3の単体複体 $$K = \{\varnothing, |a_0|, |a_1|, |a_2|, |a_3|, |a_0 a_1|, |a_1 a_2|, |a_2 a_0|, |a_0 a_3|, |a_3 a_2|, |a_0 a_1 a_2|, |a_0 a_2 a_3|\}$$ (正方形)に対して、次の計算を実行せよ。
- (1-a) $\partial_1 (|a_0 a_1| + |a_1 a_2|)$
- (1-b) $\partial_1 \circ \partial_2 (|a_0 a_2 a_3|)$
- (1) 例1.12.3の単体複体 $$K = \{\varnothing, |a_0|, |a_1|, |a_2|, |a_3|, |a_0 a_1|, |a_1 a_2|, |a_2 a_0|, |a_0 a_3|, |a_3 a_2|, |a_0 a_1 a_2|, |a_0 a_2 a_3|\}$$ (正方形)に対して、次の計算を実行せよ。
- (2) 例1.12.4の単体複体 $$K' = K \cup \{|a_4|, |a_1 a_4|\}$$ (正方形に毛が生えた図形)に対して、次の計算を実行せよ。
- (2-a) $\partial_1 (|a_0 a_1| + |a_1 a_2| + |a_1 a_4|)$
- (2-b) $\partial_0 (|a_0| + |a_1| + |a_2| + |a_3| + |a_4|)$
- (2) 例1.12.4の単体複体 $$K' = K \cup \{|a_4|, |a_1 a_4|\}$$ (正方形に毛が生えた図形)に対して、次の計算を実行せよ。
- (3) 再び例1.12.3の単体複体 $K$ に対して、 $\partial_1$ の表現行列 $A_1$ を求めよ。また、それを用いて $\partial_1 \circ \partial_2$ の表現行列 $M$ を計算してみよ。
Proof.
- (1-a) $|a_0| + |a_2|$ (項のそれぞれは、折れ線の始点と終点である)
- (1-b) $0$ (これは偶然だろうか?)
- (2-a) $|a_0| + |a_1| + |a_2| + |a_4|$ (計算結果は、単に「単体たちを合併した図形の境界」ではない!)
- (2-b) $0$ (定義を確認せよ)
- (3) $\partial_1$ の表現行列 $M_1$ を求めると、
\begin{align*} \begin{bmatrix} \partial_1 (|a_0 a_1|) & \partial_1 (|a_1 a_2|) & \partial_1 (|a_2 a_0|) & \partial_1 (|a_0 a_3|) & \partial_1 (|a_3 a_2|) \end{bmatrix} = \begin{bmatrix} |a_0| & |a_1| & |a_2| & |a_3| \end{bmatrix} \cdot \begin{bmatrix} 1 & 0 & 1 & 1 & 0 \\ 1 & 1 & 0 & 0 & 0 \\ 0 & 1 & 1 & 0 & 1 \\ 0 & 0 & 0 & 1 & 1 \end{bmatrix} \end{align*}
- であることから、
\begin{align*} M_1 = \begin{bmatrix} 1 & 0 & 1 & 1 & 0 \\ 1 & 1 & 0 & 0 & 0 \\ 0 & 1 & 1 & 0 & 1 \\ 0 & 0 & 0 & 1 & 1 \end{bmatrix} \end{align*}
- だと分かる。また、線型写像において合成の表現行列は表現行列の積になるので、
\begin{align*} M &= M_1 \cdot M_2 \\ &= \begin{bmatrix} 1 & 0 & 1 & 1 & 0 \\ 1 & 1 & 0 & 0 & 0 \\ 0 & 1 & 1 & 0 & 1 \\ 0 & 0 & 0 & 1 & 1 \end{bmatrix} \cdot \begin{bmatrix} 1 & 0 \\ 1 & 0 \\ 1 & 1 \\ 0 & 1 \\ 0 & 1 \end{bmatrix} = \begin{bmatrix} 2 & 2 \\ 2 & 0 \\ 2 & 2 \\ 0 & 2 \end{bmatrix} = O(零行列) \end{align*}
- を得る。
上の問題(1-b)および(3)で起きた現象は、以下の命題により一般的に説明できる。
命題2.10
任意の整数 $q$ に対して、 $\partial_{q - 1} \circ \partial_q = 0$(零写像)である。
Proof.
$\partial_{q - 1}, \partial_q$ は線型写像なので、その合成である $\partial_{q - 1} \circ \partial_q = 0$ も線型写像である。 よって、任意の基底のメンバー $\sigma^q_i$ に対して $\partial_{q - 1} \circ \partial_q (\sigma^q_i) = 0$ が成り立つことを確認すればよい。 $\sigma^q_i = |a_0 \dots a_q|$ と表し、以下で確認しよう。
境界作用素の定義から $$\partial_q (|a_0 \dots a_q|) = \sum_{j = 0}^q |a_0 \dots \hat{a_j} \dots a_q|$$ だったので、線型性により \begin{align*} \partial_{q - 1} \circ \partial_q (|a_0 \dots a_q|) &= \partial_{q - 1} \left( \sum_{j = 0}^q |a_0 \dots \hat{a_j} \dots a_q| \right) \\ &= \sum_{j = 0}^q \partial_{q - 1} (|a_0 \dots \hat{a_j} \dots a_q|) \quad \cdots (*) \end{align*} となる。ここで、 $\partial_{q - 1} (|a_0 \dots \hat{a_j} \dots a_q|)$ の各項は $|a_0 \dots \hat{a_j} \dots a_q|$ からさらに頂点を取り除いて得られる切子面であるから、 \begin{align*} \partial_{q - 1} (|a_0 \dots \hat{a_j} \dots a_q|) = \sum_{k = 0}^{j - 1} |a_0 \dots \hat{a_k} \dots \hat{a_j} \dots a_q| + \sum_{k = j + 1}^q |a_0 \dots \hat{a_j} \dots \hat{a_k} \dots a_q| \end{align*} である。これを $(*)$ に当てはめれば、 \begin{align*} \partial_{q - 1} \circ \partial_q (|a_0 \dots a_q|) &= \sum_{j = 0}^q \left( \sum_{k = 0}^{j - 1} |a_0 \dots \hat{a_k} \dots \hat{a_j} \dots a_q| + \sum_{k = j + 1}^q |a_0 \dots \hat{a_j} \dots \hat{a_k} \dots a_q| \right) \\ &= \sum_{0 \le k < j \le q} |a_0 \dots \hat{a_k} \dots \hat{a_j} \dots a_q| + \sum_{0 \le j < k \le q} |a_0 \dots \hat{a_j} \dots \hat{a_k} \dots a_q| \end{align*} が得られる。ただし、 $\sum_{0 \le k < j \le q}$ は $0 \le k < j \le q$ を充たすすべての $(j, k)$ について和をとることを意味する( $\sum_{0 \le j < k \le q}$ も同様)。さて、前半の総和も後半の総和も、束縛変数の見かけが異なるだけで、実行する計算は同じである。よって、二元体において $2 = 0$ であることに注意すると、 \begin{align*} \partial_{q - 1} \circ \partial_q (|a_0 \dots a_q|) &= 2 \cdot \sum_{0 \le k < j \le q} |a_0 \dots \hat{a_k} \dots \hat{a_j} \dots a_q| \\ &= 0 \cdot \sum_{0 \le k < j \le q} |a_0 \dots \hat{a_k} \dots \hat{a_j} \dots a_q| \\ &= 0 \end{align*} が分かる。これで、 $\partial_{q - 1} \circ \partial_q (|a_0 \dots a_q|) = 0$ が確認できた。
□定義2.11(鎖複体)
単体複体 $K$ に対して、その鎖群 $C_q (K)$ と境界作用素 $\partial_q$ たちが成す族 $\mathcal{C}(K) = (C_\bullet (K), \partial_\bullet)$ 、あるいは系列 $$\cdots \xrightarrow{\partial_{\dim K + 2}} 0 \xrightarrow{\partial_{\dim K + 1}} C_{\dim K} (K) \xrightarrow{\partial_{\dim K}} \cdots \xrightarrow{\partial_2} C_1 (K) \xrightarrow{\partial_1} C_0 (K) \xrightarrow{\partial_0} 0 \xrightarrow{\partial_{-1}} 0 \xrightarrow{\partial_{-2}} \cdots$$ のことを $K$ の鎖複体(chain complex)という。
単体複体の鎖複体を定義し、それが持つ目立った性質(命題2.10)を説明した。 しかし、定義2.1でも言及したように、これは $\{\varnothing\}$ という $-1$ 単体を除いている点で違和感があるかもしれない。 そこで、 $\{\varnothing\}$ も込めて構成した鎖複体――添加鎖複体を定義しよう。
定義2.12(添加鎖複体)
単体複体 $K$ に対して、 $\mathbb{Z}_2$ 上のベクトル空間 $\widetilde{C}_q (K)$ を \begin{align*} \tilde{C}_q (K) = \begin{cases} C_q (K) & (q \ne -1) \\ \{c \cdot \varnothing \ | \ c \in \mathbb{Z}_2\} & (q = -1) \end{cases} \end{align*} で定義し、これを $K$ の $q$ 次添加鎖群($q$ -th augmented chain group)という。
また、 $\mathbb{Z}_2$ 線型写像 $\varepsilon \ \colon \ C_0 (K) = \tilde{C}_0 (K) \to \tilde{C}_{-1} (K)$ を、 $$\varepsilon (\sigma^0_i) = \varnothing$$ を線型に延長して定義する。これを $K$ の添加写像(augmentation map)という。
さらに、 $\mathbb{Z}_2$ 線型写像 $\tilde{\partial}_q \ \colon \ \tilde{C}_q (K) \to \tilde{C}_{q - 1} (K)$ を \begin{align*} \tilde{\partial}_q = \begin{cases} \partial_q & (q \ne 0) \\ \varepsilon & (q = 0) \end{cases} \end{align*} で定義し、これを $K$ の添加境界作用素(augmented boundary operator)という。
これを以て、単体複体 $K$ に対して、その添加鎖群 $\tilde{C}_q (K)$ と添加境界作用素 $\tilde{\partial}_q$ たちが成す族 $\tilde{C}(K) = (\tilde{C}_\bullet (K), \tilde{\partial}_\bullet)$ 、あるいは系列 $$\cdots \xrightarrow{\partial_{\dim K + 2}} 0 \xrightarrow{\partial_{\dim K + 1}} C_{\dim K} (K) \xrightarrow{\partial_{\dim K}} \cdots \xrightarrow{\partial_2} C_1 (K) \xrightarrow{\partial_1} C_0 (K) \xrightarrow{\varepsilon} \tilde{C}_{-1} (K) \xrightarrow{\partial_{-1}} 0 \xrightarrow{\partial_{-2}} \cdots$$ のことを $K$ の添加鎖複体(augmented chain complex)という。
添加鎖複体についても次のことが示せる。
命題2.13
任意の整数 $q$ に対して、 $\widetilde{\partial}_{q - 1} \circ \widetilde{\partial}_q = 0$(零写像)である。
Proof.
添加写像が関与する部分とそうでない部分で場合分けしよう。
- $q \ne 0, 1$ のときは、命題2.8より $\widetilde{\partial}_{q - 1} \circ \widetilde{\partial}_q = \partial_{q - 1} \circ \partial_q = 0$ が得られる。
- $q = 0$ のときは、 $\widetilde{\partial}_{-1} = \partial_{-1} = 0$ なので $\widetilde{\partial}_{-1} \circ \widetilde{\partial}_0 = 0$ が得られる。
- $q = 1$ のときだけが少々非自明である。 $\widetilde{\partial}_0 = \varepsilon, \ \widetilde{\partial}_1 = \partial_1$ なので、示すべきことは、$K$ の任意の $1$ 単体 $|a_0 a_1|$ に対して $$\varepsilon \circ \partial_1 (|a_0 a_1|) = 0$$ となることである。それは次のようにして分かる:
\begin{align*} \varepsilon \circ \partial_1 (|a_0 a_1|) &= \varepsilon (|a_0| + |a_1|) && (\because \ \partial_1 の定義) \\ &= \varepsilon (|a_0|) + \varepsilon (|a_1|) && (\because \ \varepsilon の線型性) \\ &= \varnothing + \varnothing && (\because \ \varepsilon の定義) \\ &= 2 \cdot \varnothing \\ &= 0 \cdot \varnothing && (\because \ 二元体では 2 = 0) \\ &= 0。 \end{align*}
これで証明が完了した。
□この章のおわりに
この章では、次の事柄を学んだ。
- 鎖群という、単体複体の部分図形を集めたベクトル空間の定義と例。
- 境界作用素という、単体の貼り合い方を記述する線型写像の定義と例。
- 鎖複体という、単体複体に対する代数的な対応物の定義。また、添加鎖複体という鎖複体の類似物の定義。
ということで、単体複体に対応する代数的対象として鎖複体が定義できた。 しかし、これからは鎖複体から無駄な情報を削減し、単体複体が持つ特定の情報に注目していくことになる。 そのとき注目する情報として、単体複体の中に"非自明"な部分図形がどれだけあるか?というものを考えてみよう。 非自明な部分図形がないなら単体複体は単純そうだし、たくさんあるならそれだけ複雑そうである。 つまり、"非自明"な部分図形の数え上げは図形の複雑さの測定に他ならない。 これを数学的に定式化したものの一つこそがホモロジーである。
次章で、遂にホモロジーの定義を述べ、計算例を紹介していく。
脚注
- ↑ ベクトル空間にわざわざ鎖「群」という名がついていることに違和感を覚えるかもしれない。これは鎖群が一般のホモロジー理論で環上の加「群」であるという事情に由来すると思われる。(あるいは単に鎖の集まりの意味で「群れ」という言葉を用いているのかもしれない。)